和多志は他流の型に対して「あのサンチンは違う、間違っている」という表現はしません。
何か表現するとすれば、「和多志とは違う」という表現をします。
術理に関しては、各流派それぞれ特化した体系があります。
それに対して「間違えている」という表現は自分目線、自分本位の考えだと思うからです。
自分とは違う術理は全て間違えなのか?
「自分の考えは正しい、他者の考えは間違えている」という排他的な思考は傲慢だと感じます。
和多志が全知全能の神だとしたら、「和多志以外は間違えている!」と堂々と言えるのですが、和多志も皆様と同じ人間です。
残念ながら完全完璧ではありません。
ですから当会は他流派を修行している方も大歓迎なのです。
和多志にない術理持った方の魅力を、一方的に排するのではなく、その魅力を最大限に活かしていただきたいと考えるからです。
「間違えた技術が伝わるのを防ぐため」、一見聞こえが良いのですが、弟子の成長や可能性を潰している可能性があります。
師を超えられないシステムが無条件で作られている氣がします。
このようなシステムは本土の家元制度に似ているように思えてなりません。
空手は一人一派です。
もっと自由で、個々の能力を開放する可能性を秘めているものだと思います。
東恩納完量翁の言葉をお借りすれば「あれも本物、これも本物です!」
今の和多志の考えもそうです。
