型が導いてくれる(功夫を積む)
前回の記事「続・佐川合気実験室(功夫を積む)」でも書いたように、武術において短期間の特訓はあまり意味がないように思います。
それは空手も同じです。
和多志は常々、「分からなくても型をやってください」とお伝えしています。
意拳などで行われる「站椿功(たんとうこう)」には、立ち続けることで身体が一番良いところに納まり、理想的な状態へ導かれるという考えがあります。
和多志は、この考え方は空手の型にも通じるものがあると思っています。
あくまで経験則ですが、「分からなくても型をやり続ける」ことで、型そのものが身体を理想的な状態へ導いてくれるような氣がするのです。
なぜなら、個々の身体操作を練習した覚えがないにもかかわらず、いつの間にかできるようになっていたり、末端と肚が繋がる感覚が生まれていたりするからです。
身体操作、呼吸法、肉体的鍛錬など、個別のエクササイズを特別に行った覚えはありません。
それでも少しずつ身体が変わり、自分自身の変化に氣づくようになります。
だから和多志は、型が人を導いてくれるのだと思っています。
もちろん、それには「功夫」が必要です。
筋トレも短期間の集中トレーニングだけでは限界があります。
武術であれば、なおさらでしょう。
鈍才の和多志でさえ、分からないまま型を継続し、未熟ながらも今があります。
凡才の人なら、和多志以上に。
天才の人なら、さらに大きく。
向上する可能性があります。
誰にでもチャンスがあり、誰にでも希望がある。
それが型稽古の素晴らしいところではないでしょうか。
和多志に五つの型を教えてくださった先生は、「型を信じてください」「そのうち型が語り掛けてきます」と仰られました。
和多志は、その言葉を楽しみに型稽古を続けてきました。
実際に語り掛けてきたのは型そのものだったのか。
あるいは、型を通じて先生が語り掛けてくださったのか。
ここでは割愛しますが、不思議なことはあるものです。
しかし、一朝一夕では型は何も語り掛けてくれません。
やはり必要なのは功夫です。
日々積み重ねた時間と労力だけが、少しずつ身体を変え、技を育てていくのだと思います。
和多志も憧れの先生方の背中を追いかけながら、これからも功夫を積んでまいります。
